2004.3.15 トピックス. 読者からの手紙
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「サッカーの街清水で起きた悲しい出来事」
まだ寒さの厳しかった1月の昼休み、強風にあおられ中学校グランドの鉄製サッカーゴールが倒れ1人の中学生が亡くなるという痛ましい事故が起こった。当日夕方のテレビニュースで、静岡市教育委員会が「サッカーゴールは固定するようすでに通達は出している。それをしなかったのは学校側の責任」と発言。そのすぐ後、当該校長が「固定したくても狭いグランドで、野球部も使用するため固定することができなかった」と発言。その誠実な話し振りに、思わず同情の気持ちがわいたのを覚えている。
事故の後すぐに緊急の保護者会が開かれ、校長が「事故は私の責任」と土下座して謝り、その場では校長への非難の声は一切上がらなかったと聞く。もともと人望の厚い人柄であったという。
ところが事故から5日後の日曜日の朝、「再びご迷惑をおかけします」と綴った10数通の遺書を残し自宅居間で自殺しているのを発見された。
市教育委員会は会見で「校長の落ち度は責めていない」と釈明したものの、もはや死者にそれを云々する機会は与えられていない。校長の葬儀が、市教委に一切知らされることなくひっそりと執り行われたという。
新聞によると、市教委は”事故翌日”緊急に市内の小中学校のサッカーゴール転倒防止についての調査を行い、結果半数もが防止策がされていない事が判明した。事故直後のテレビで「固定するよう通達は出してある」と強弁するのは結構。しかしその通達の後「実態は改善されたか?」「どうすれば事故防止につながるか?」等を一切指導してこなかったのは厳然たる事実。この点は市教委の責任は明らかで、生徒が死ななければ調査もできなかったとはあまりにお粗末すぎる!
「校長の自殺」という痛ましい事件は、命の尊さを教えるはずの教育の現場では測り知れない衝撃を与えたはずだ。このことについて学校関係者に問い掛けてみると、驚くことに「責任感のあるいい校長だった」と自殺が”美談”に仕立てあげられているという恐ろしい返答が返ってきた。現代版「切腹」なのか?何もかもが校長の死によって免罪となり幕引きがされようとしている。
この春高校生になるはずだった生徒、専門の音楽をとうして生徒とのふれあいを楽しみたかったであろう校長。2人のことを思うと今でも胸がいっぱいになる。(澄)
「フリーター417万人を考える」
2002年の完全失業率は全体平均で5.4%と過去最悪でした。特に若年層(15〜24歳)は9.9%に達しています。ここ数年、学校卒業後に就職も進学しなかった「新卒無業者」の割合も急増しています。この「新卒無業者」が、アルバイトやパートで働くフリーターとなり、このフリーターが増大し大きな社会問題になっています。
最近、NHKも3月7日に「フリーター417万人の衝撃」という番組を放送していました。
まずこのフリーターの定義ですが、「年齢が15〜34歳で、勤め先での呼称がアルバイトあるいはパートであり、男性は継続就業年数が1〜5年未満の者、女性は未婚で仕事を主にしている者」(2000年版労働白書の定義)としています。
また、この定義は、無業者で、家事も通学もしていないでアルバイトやパートの仕事を希望している者も含む形に拡張されています。この定義によれば、1982年には50万人に過ぎなかったフリーターが、バブルがはじけデフレ不況が始まった92年には190万人、97年には313万人、2001年には417万人に急増し、長引く深刻な不況の下で、さらなる増加傾向が続くことが指摘されています。
こうしたフリーターの増加が、日本社会の将来に暗い影を落としはじめています。
NHK番組でも、「こうしたフリーターの増加は、産業界の技術力の継承や錬磨に悪影響を与え、国際競争力などわが国の産業力を衰退させ、さらに社会保障費(年金支払いなど)を負担できない若者が増えることになり、わが国の将来に大きなマイナスになりかねない」との、フリーター亡国論がささやかれていました。
確かに生活能力のない若者が増加すれば、将来の社会保障システムが有効に機能しなくなる危険があります。
でも、なぜこんなにもフリーターが増加したのか?その原因はどこにあるのか?そして、その解決の方向の道はどこにあるのか?をしっかり考える必要があると思います。
この原因の分析で、私が賛成できない代表的な意見は次のような指摘です。「卒業後も資格を取ったり、自己実現や生きがい追求型のフリーターはごくわずか。最近は定職にも就かなかったり、せっかく入社してもすぐ離職してしまう。辛抱することができない。パラサイト・シングルとして親への依存心が強くなっているのも一因であり、親も甘やかすからだ」と。要するに、「今の若者がダメだ」論です。
03年の国民生活白書「デフレと生活・・・若年フリーターの現在」では、フリーター増加の要因として、「企業が正社員をアルバイトやパートに置き換える傾向、豊かな社会に生まれ育った若者のモラトリアム志向、パラサイトに許容的な日本の親子関係、職業教育の不十分さ」を指摘しています。さらに白書で、「フリーターの7割以上が正社員希望だが、なかなか希望職種に就職できない。労働意欲は決して低くない。平均年収は125万円前後で、これでは300万円台の”スローライフ”にも届かず、親元にとどまるしか選択肢がない」ことも述べています。少しは適切な指摘だと思います。
確かに今の若者の気質は、「辛抱強くない」とか「自己実現が弱く、他人依存が強い」とかの弱点があると思います。しかし、昔も今も若い人間は「未熟であり」、学校の勉強だけで一人前になるわけではないと思います。
未熟な若者が世に出て、仕事に就き、その仕事の労働を通じて鍛えられ、様々な勉強をするうちに、ようやく一人前の労働者=人間に成長していったわけです。
ところが、白書でも指摘しているように、今の企業社会では若者を正社員として採用し、労働教育を通して一人前の人間を育てていこうとする姿勢と組織体制がありません。もはや日本社会には若者を育てるシステムが機能していない、人間が育たない、この事が最大の問題点だと思います。
「安上がり」「労働者の使い捨て」「非正社員の増加」の企業論理は、若者だけでなく、一般労働者にも徹底的に貫かれています。ようやく「正社員」になっても、長時間のサービス残業ばかり、「パート」は賃金は正社員の半分位で、労働時間だけはフルタイムで「こき使われる」という労働実態です。特に女性労働者においては過半数がパートや派遣社員などの「非正社員」身分になっており不満が蓄積しています。
学校を卒業して仕事先を希望しても正社員の就職先がない。従って、食っていくためにフリーターとして働くしかない。ところが、フリーターの仕事先とは生産的労働分野は少なく、それは技能を必要としないコンビニやホールスタッフなどのサービス業の単純労働がほとんどです。これでは、なかなか職業的能力が高まりません。
物を作る生産的労働分野がどんどん減少し、サービス労働ばかりの非生産的労働の分野しか働き先がない、この事も今の日本社会の退廃と衰退を物語っていると思います。(英)
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池子米軍家族住宅追加建設反対運動の現状
昨年7月、突然降ってわいたような騒ぎが起こりました。逗子市に隣接する横浜市金沢区六浦町の米軍接収地域に、約八百戸の米軍家族住宅を追加建設するとの発表がなされたからです。
逗子市の長島市長は、国が逗子市との約束を反故にしたとして辞職し、市民の信を問うとして、市長選挙を行い再当選を果たし、逗子市の今年度予算に米軍家族住宅追加建設反対のための予算を、95万円計上しています。
今後の闘いの焦点となる金沢区での闘いは、あまり盛り上がってはいなかったのですが、この3月7日、都合三回委の会合と二回の現地見学会を経て、「池子の森を守る会」を発足させました。はっきり言えば、この会は共産党の影響下での結成であり、私にも役員の就任要請があったのですが、そうした経過の中では、受けられないと判断して断りました。
こうして、ともかくもやっと逗子市側と対応する現地で闘う組織ができたのですが、この追加住宅の建設の話自体が、横浜の現在不使用の三基地の返還とバーターによるものなので、すんなりと全市的な闘争課題となるがどうか、非常に難しい面もあります。
他方で、松沢県知事と中田横浜市長は、アメリカ追従の超保守の松下政経塾卒業生のコンビでありながら、追加建設を容認するなど事態が一気に進展していない背景はといえば、追加建設の前提には、横浜市がこの土地を買い上げなければならないという大問題があるからなのです。財政赤字の縮減に大なたを振るっている中では、とても市民に言い出せないので、敵にとっては、ここが最大のネックでなのです。したがって、この点を果敢に責め立てていけば、今後の運動展開の展望は、世界の反戦闘争とも影響し合い、広範な労働者民衆を反対の立場に引きつけることができるし、開けてくると考えております。(S)
オウム裁判に決定的に欠けているものは何か
2月27日、地下鉄サリン・松本サリン・坂本堤弁護士一家殺害など13事件で、殺人罪などに問われたオウム真理教の麻原彰晃、本名松本智津夫被告の判決は、これらの事件の首謀者と認定され、死刑であった。一連のオウム事件で死刑判決は12人目となり、これで、起訴されたオウム信者189人全員の一審判決がすべて終了した。
この日の判決は、13事件のすべてについて「松本被告の指示・命令」を認め、「弟子の暴走」とする弁護側の主張を退けたのであった。
死者12人、約五千人の被害者を出した地下鉄サリン事件について、判決は、「被告の専用車の中で、故村井秀夫元幹部らが、警察の捜査を阻止するために地下鉄にサリンをまくことを提案すると、松本被告は『パニックになるかもしれないな』と言い、村井元幹部に総指揮を執るよう命じた」と指摘し、「遠藤誠一被告に『サリン造れよ』などと言い、サリン生成を念押しした」と認定した。また例外的に実行犯でありながら無期懲役になった林郁夫被告の証言も決定的な証拠として採用されたのである。
判決は、事件の背景事情に触れ、「松本被告は国政選挙に出たが惨敗したため、教団武装化による勢力拡大を図ろうとし、日本を支配して王になることを空想した」と批判し、「この空想の妨げになると見なした者は、教団の内外を問わず敵対視し、その命を奪ってまで排斥しようとした」と糾弾した。確かに麻原の「狂気」には度し難いものがある。
しかし、これですべては終わったというわけではない。これらすべての事件が、麻原の妄想だけで起こったことにしようとしているのは、労働者民衆が、問題の本質を考え抜くことを避けさせたいとする勢力が画策していることである。
あまりにも不可解な事件が、大きく三つある。その第一は、国松警察庁長官の殺害未遂事件である。警察機構を震撼させた大事件であるが、この事件に深く関わっている小杉敏行は懲戒免職されただけであり、もう一人の平田信は逃亡中であり、未だに真相の一端すら明らかにされていないのだ。その第二は、オウムナンバー二の村井秀夫の刺殺事件である。この事件にはいろいろな利権が絡んでいるといわれてきたが、これまた容疑者徐被告の背後関係・動機が全く明らかになっていないのである。最後に、サリンはそんなに簡単に作れるものなのかという疑問に対しても、この根本に対する疑問を持つ評論家少なくして、その真実は、未だ明らかになっていないのである。
警察や検察のキャリア官僚が、自己の無能さが決定的に暴露されないため、これ以上問題を明らかにしたくないと考えているのなら、私たちは論理能力を駆使して、オウム真理教問題を解明していくしかないであろう。
幸いにして先覚者はいる。出版順に紹介しておけば、1995年、元赤旗記者で野坂参三のゴーストライターといわれている下里正樹氏著『悪魔の白い霧 追跡ドキュメント サリン事件とオウム真理教』、1998年、現職の社会部記者谷川葉氏著『警察が狙撃された日 国松長官狙撃事件の闇』、2000年、1995年から1996年に連載された記事を加筆して出版され、複数の現職の新聞記者の合成著者といわれる一橋文哉氏著『オウム帝国の正体』である。これらの本には、キャリア官僚の信じられない言動の一切が告発されている。特に谷川氏の本は、講談社+α文庫から再刊されており入手しやすいのでお勧めの本である。(木)
暴かれつつある警察機構の全国的腐敗
昨年の11月、ザ・スクープの鳥越ニュース・キャスターと共産党北海道議団に、北海道警察の一連の不正経理疑惑に関する道警内部告発の資料が送付されてきた。入っていた資料は「旭川中央警察署」の「報償費証拠書」(95年7月)と「現金出納簿」(97年9月)の書類で90頁ほどの分量であった。
それに添えられていた署長に対する告発の文書は、ある署長にふれて、「この署長は我々一般職を最も怒鳴りまくった人です。地位の低い職員をも怒鳴りました、裏金の処理をさせておきながら。処理は各警察官が捜査費、報償費を受け取っていたことになっていているが実際には一銭も受け取っていません」。また別の署長にもふれ、「タクシーのチケットは署長の奥さんが終始使い、自分は深夜であっても署長車を使っていました。このころの裏金は800万円から1000万円処理していて各署長に直接渡った金は600万円と推定されている」。報償費とは、情報提供者に対する謝礼であるが、北海道警察に支出されている道費は、年間1億数千万円、捜査費は、国費である。
この内部告発に対して、当初、芦刈北海道警察本部長は徹底した無視の態度を貫いた。しかし、「隠すほど現わるるはない」とは昔から言い習わされていること。12月の北海道議会で、これら証拠書類の受領を3回も拒否し、質問する共産党議員の方すら見ることができなくなった芦刈本部長の大失態は、テレビでも放映されてしまった。
共産党とは別に、鳥越キャスターもこの問題をテレビで二回にわって取り上げ、二回目の放送では、元旭川中央警察署長原田氏の警察人生の中で深く関わってきたとの驚くべき証言と当時死亡していた人の領収書を示す等、警察のウソと道警同様の裏金作りの全国的蔓延を告発したのである。
事ここに至り、芦刈本部長は、この間の行動を陳謝するとともに静岡警察や福岡警察でも謝罪する動きが起きている。こうした腐敗が全国的であることは間違いのないところである。またすでに検察においても同様の腐敗があったことは知られている事実である。
実際に、署長になって三回転勤すれば、家が建つといわれてきたし、神奈川県警でもあると私なども噂は十数年前に聞いていた。情報公開制度のもとで、こうした腐敗が告発されるのはよいことだが、なによりも「階級社会」である検察や警察から内部告発があったことに注目する。
国家権力の暴力機構の中にあって、内部規律を重んじてきた警察職場でも、このような深刻な内部機構の矛盾が露呈してきたということは、私たちにとっては喜ばしいことである。確かに今労働者民衆は、長く続く不況下で、賃金カット・首切り攻撃を受けている。しかし、ここで露呈したように、敵勢力の中枢の一つでも、同様の危機は、着実に間違いなく進行しているのである。
この度の警察裏金事件の発覚は、この重要な事実を私たちに告知したという意味で、大変大きな意味を持っている。(野)
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ヤフーBB「個人情報流出事件」の背景とは何か
今回発覚した「ソフトバンク恐喝未遂事件」では、451万人分の個人情報が流出した。個人情報の流出件数では、文句なしに史上最大級の記録になった。しかも、恐喝未遂額も、そんじょそこらにあるような半端ではない。なんとソフトバンクに要求した金額が数十億円だというのだから。
この事件の詳しい経過については省略するが、同事件で私が注目するのは、逮捕者四人の中に、創価学会の幹部が二人も含まれていたという事実である。その一人は、ヤフーBB加入代理店「エスエスティー(SST)」(東京・千代田区)の副社長湯浅輝昭容疑者で、もう一人は同社の社長竹岡誠治容疑者である。湯浅容疑者は、北海道函館市の近郊にある五稜郭で「聖教新聞」販売店の店主(92年まで)を務め、学会組織では、地元、五稜郭圏の副圏長(1月24日、逮捕直前に辞任)の役職を得ていた。竹岡容疑者は、東京・豊島区内組織の副区長(同じく辞任)である。
これらの二人は、学会組織では中堅幹部といったポジションであるが、竹岡容疑者の過去が、共産党によって暴露された。彼は、大学卒業後(71年)、「学会系列の新社会研究所に入社し、74年、やはり学会系列の出版社『第三文明』に移っています。学会本部に異動になったのは、それから二三年後で、本部の組織センター青年局に籍を置き、79年に創価班委員長、80年には全国副男子部長に任命されていた70年代の男子部最高幹部の一人」、「創価班」(当時、静岡県・富士宮市の本山に団体で参拝する学会員たちの輸送業務と行事運営を担当)の委員長、さらに副男子部長という要職を得て、本部職員としてはエリートコースに乗っていた。副会長という最高幹部職にも手が届いていた竹岡容疑者が、突然、学会本部から姿を消すのは、全国副男子部長に任命された直後である。
その原因は、「宮本顕治・日本共産党委員長(当時)宅電話盗聴事件」であった。同事件は70年、東京杉並区の宮本委員長自宅の電話線に盗聴器が仕掛けられた事件だが、政党トップの電話を盗聴するなど、当時、公安関係の仕業ではないかと疑われたが、犯人は特定できず、事件は一旦は迷宮入りする。それから、ちょうど10年目の80年、宮本宅・盗聴犯罪の犯行グループが明らかになる。
70年当時、創価学会は組織ぐるみで「言論出版妨害事件」を起こし、世間やマスコミから批判の集中砲火を浴び、当事件での「池田大作会長(当時)の国会喚問」なども取りざたされたが、その追及の急先鋒だったのが共産党であった。追い込まれた学会は、対抗処置として、山崎正友・創価学会顧問弁護士が動いた。こうして学会本部内で「山崎師団」とか「山崎グループ」などと言われていた、当時、学生部に所属していた竹岡誠治、広野輝夫らが行動を起こし、宮本宅に盗聴器を仕掛けた。この裁判の判決文でも、深夜電柱によじ登って取り付けた実行犯の一人が、今回、ヤフーBBの個人情報流出事件で逮捕された竹岡誠治容疑者と認定している。
そのため表舞台から姿を消したが、03年3月、今回、恐喝未遂の舞台になった「エスエスティ(SST)」の両社を設立し、社長に納まっていた。この間は、自民、公明の衆参議員との政界工作をしていたという。こうして政界に深く食い込む一方で竹岡容疑者は、「ヤフーBB」と代理店契約を結び、全国展開の営業を行なっていたのである。
ここで創価学会に詳しいフリージャーナリストの段勲の見解を聞こう。
今回の事件で、マスコミ間でささやかれたのは、451万人に及ぶ個人データの行方である。学会本部の広報は、各マスコミの取材に対し、逮捕された二人が学会員であることは認めたものの、「この事件と学会は全く関係がない」と、言下に否定した。だが、疑問とされるのは「日刊ゲンダイ」や「週刊現代」、または他のマスコミ取材に対しても、事件と関係のない竹岡容疑者の長男が学会本部の職員であるとコメントしていることだ。
マスコミの取材には用意周到な学会・広報が、なぜこんなチョンボをしているのか。
また、個人データの行方が「疑われる」のは、創価学会が起こした過去の事件とダブルからだ。まだ記憶に新しいが一昨年9月、同会の全国副青年部長(創価大学副学生課長)らが、NTTドコモの通信記録を盗み出すという事件が発覚した。
この2月17日、同事件の「真相究明を求める会」が、一万人を超える署名簿を添えて東京地検に、「厳正かつ速やかな捜査」の要請書を提出している。
当時の警察発表によると、通信の秘密侵害を受けた被害者は22人だけとなっていた。だが実は、他にも学会に批判的な立場の人たちの通信記録も盗まれていたのだ。実際、学会幹部たちは何人の通信記録を盗み出していたのか。あらためて当局に、真相究明を求めたのである。
このような先の盗聴事件といい、携帯電話・通信記録の盗み出し、そして今回の事件。同事件はまだすべて解明されたわけでないが、451万人に及ぶ個人データの行方が気になる。
何ともよくわからない事件ではある。池田大作創価学会名誉会長が、在日の星と手放しでほめてきた孫正義氏のところからデーターを盗んだばかりでなく、考えられないことながら恐喝までするということは、彼ら自身の問題であるのか。大いなる関心を持って事件解明の推移に注目していきたい。(猪)
急展開している「特別支援教育」の核心とは
昨年、文科省から提言された「特別支援教育」は、各都道府県教育委員会を通じて、全国の市町村教育委員会に具体化を求める動きが急展開している。
この「特別支援教育」の核心について一言しておく。特殊教育と呼ばれてきた障害児教育は、昔は在籍制といい特殊学級という名の学級の中でのみ学習と生活を行ってきた。今でも、この在籍制は行われているが、現場の取り組みの中で、様々な形での通常学級との交流が取り組まれていて、日常生活の基盤は、通常学級にあるという障害児学級の運営が工夫されてきたのである。
障害児教育を大きく規定し条件付けできた在籍制が廃止されて、義務教育小中学校に通う児童生徒は、すべて通常学級在籍となり、その中で特別に支援を要する児童生徒は、その子の状況に応じて、特別支援教育を受けることになるというものである。
この特別支援教育が、通常学級で行われるのか、特別支援教室で行われるようになるのかは、未だ定かにされてはいない。
こうした展開を共産党は基本的には一歩前進と考えているが具体的な予算の裏付けにふれていないことには危惧を抱いているようだ。私などは、「ゆとり教育」の狙いが公教育の縮減にあったように、今回の提案も、教育費圧縮の一環に間違いなく位置付いていると職場では力説している。しかし学校現場は対応が著しく遅れているのである。
したがって、文科省のいう理念の検証や予算措置に対する具体的な要求も手遅れにならないうちに、しっかりと取り組まねばならないと私は問題提起したい。(佐)
五ヶ月ぶりの円価水準に復帰
3月5日の欧米外為市場では、2月の米雇用統計が、予想外にみじめな内容であったことから主要通貨に対するドル売りが進んだ。ただ2月の雇用統計内容以上に驚いたことは、112円付近でも大量の円売り介入が実施されたことである。
市場関係者の推定では、最低でも30億ドル以上、おそらく50億ドル規模のドル買い・円売りが実施されたという。ユーロや英ポンドなどの主要通貨が、ドルに対して買われる中で、大規模な円売り介入が実施された結果、対ドル以外の(クロス円)レートは、全面高となった。二月の雇用統計が発表される直前は、111円10銭前後だった。投機筋はドル高を即座に外して、新たにドル売りを仕掛けたと推察されるが、財務省の介入によって全てを飲み込まれてしまったようだ。
実際これだけの円売り介入が実施できるのは、日米間で何らかの取引が成立している可能性が高いと市場関係者は考えている。日本側の論理では、三月期末をにらんだ円売り介入だが、国際的にはそのような都合は理解されるはずもない。大規模な円売り介入を正当化させるには、なによりも金融政策面で大きな転換が実現される必要がある。来週の金融政策決定会合では、何らかの緩和策が決定される可能性は高いと考えられてはいるのだが。
日経平均株価が先週末、1年9ヵ月ぶりに1万1500円を突破した。小泉首相は「構造改革の成果」とまたまた浮かれていることであろうが、株高の理由はハッキリしている。
昨年以降、30兆円も入込んでいる異常な為替介入のおかげである。「政府の円高阻止ドル買い介入で、今や1ドル=115円に迫る勢いです。自動車、電機など大手輸出企業は1ドル=105円程度を想定していますから、ここまで円安が進むとボロ儲け。昨年来の政府の介入で円は5〜6円安くなり、10−12月期のGDP0.3ポイント)も押し上げたというデータもあるほどです」(大手銀行アナリスト)
政府が買ったドルは、米国債購入に充てられ、それが米国の財政赤字を埋める。そのため、米国の金利上昇は抑えられ、ヘッジ・ファンドのリスクマネーが、日本株に回る。要するに政府の金が回り回って株価を押し上げている構図である。
小泉政権はここぞとばかり、「景気回復」をPRしている。しかも「為替介入による株高」に味をしめたのか、円高懸念が遠のいた3月以降も「押し下げ介入」とか言って巨額の円売り・ドル買い介入を続けている。その結果、政府の外為特会は異常に膨張していて、パチンとはじける寸前なでのある。
もう一つ、見過ごせないのが政府に連動している日銀の動きである。福井俊彦総裁が就任してから1年、日銀は急速に金融緩和をエスカレートさせている。銀行に求める当座預金残高は15兆円も増えて、現在35兆円という。年末には50兆〜60兆円という声すらある。しかも政府は円売りを続け、日銀は、このように金融緩和で歩調を合わせる。史上、例を見なかった政府、中央銀行のタッグによる「量的緩和」が、公然と行われているのである。
こんなことをしていれば、パイパーインフレになりかねないと警告しておこう。
実際のところ、外資は、すでにインフレ到来を見越しているようだ。財務省が今月初めて「物価連動国債」を売り出したところ、ゴールドマン・サックスやBNPパリバが飛びつくように買っていた。モルガン・スタンレー証券は「忍び寄るインフレ」と題したリポートを先月発表し、借金が多い企業の銘柄をリストアップしていた。ひとたびインフレに転じれば、過剰債務企業の方が、大もうけができるいうことなのだ。
しかし、インフレは、労働者民衆には地獄なのである。反戦闘争の立場だけでなく生活防衛の立場からも小泉内閣を打倒していかなければならない。(直)
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社会ダーウィニズムの跳梁跋扈を糾弾する
バブル崩壊後の日本経済が、「失われた十年」と呼ばれて久しいが、今や「失われた二十年」との指摘をする論者が現れるまでになってきた。
こうした情勢下、日本社会には、ダーウィンの種の進化論の核心である「自然淘汰・適者生存」の概念を、人間社会の解明にそのまま流用する社会ダーウィニズムが跳梁跋扈し始めている。
弱い人々は自然淘汰され、優れた人々は適者生存する。したがって社会的に高い地位にいる人々は優れた資質を持つ人々であるから、人間社会を進歩させていこうとするのなら、当然にもこれらの優れた人々を支援すべきであって、怠け者や劣った人々のために、生活支援するなどという考えは、誤っているとするのが、社会ダーウィニズムの思想である。 こうして人種差別や貧困を巡る不平等や不公正は正当化され、人間界での「真実」と認定されるという驚くべきイデオロギーで、ナチス・ドイツのユダヤ人排斥・大量殺人や障害者・精神病者の断種を実行した優生学の根本思想になっていた。
ファシズムの崩壊とともに消え去っていたかに考えられていた社会ダーウィニズムが、グローバリズムの世界的展開の中で、息を吹き返したのである。
実は、アメリカニズムの中にも、社会ダーウィニズムが含まれていたのだが、市場原理主義・規制緩和主義の新自由主義が、こうした思想や優生学的思想を再度強力に呼び戻す役割を果たしている。
今書店に行くと、「年収300万円時代」云々という著書が並んでいる。その著書の森永卓郎氏は、意外ながら、今回読書室で取り上げられている『機会不平等』を書いた斉藤貴男氏を高く評価しているのである。
その森永氏が斉藤氏の描く機会不平等社会社会は、三つの要素を持っているとした。一つは、構造改革派が進める市場原理の強化によって階級が固定化し、一度下層階級に転落すると容易には這い上がれないこと。二つは、下層階級が健康で文化的な最低限度の暮らしを営む権利まで奪われようとしていること。三つは、上層階級の人々が、人数的には大部分を占める下層階級のことをまるで奴隷のように蔑んでいることである。
日本社会の最近の変貌により、こうした社会ダーウィニズムの受け皿ができたのである。
「勝ち組・負け組」という極めて耳に馴染みやすい物言いの仕方で、日本の労働者民衆の連帯意識はズタズタにされてきたし、今でもされてきている。彼らの間ですら、療養休暇を取っている人に対する意識が、昔は、本人も大変だなという意識から、なぜ休んでいるのか、あの人はおかしいのではという意識に転換させられているのである。
大きくいえば、イラクなどの遅れた社会は、自らの力で進んだ社会に進めないなら、アメリカなどによる無理矢理変革・今回の戦争も、歴史の進展であり進歩なのだと評価するほどの夜郎自大へと転化していくのである。
しかし、こうしたエセ「自然科学的思考」は、誤り以外の何者でもない。人間社会は、人間の意識を超えた生産力とその下で組織化された生産関係とそれらの関係に関する人間集団の意思によって大きくは規定されていくものなのである。その意味では、マルクスがはっきり言ってきたように、人間は世界に対して全能ではなく、自らで解決できる問題に対して、目的意識的に関わることで解決するにすぎないのである。
物事を浅薄化し単純化する社会ダーウィニズムの跳梁跋扈を糾弾する。(勢)
読書室
斉藤貴男氏著 『機会不平等』 文春文庫 現代日本階級社会の生々しい現状分析の書
2000年、この本の親本は出版された。4年後、この本は、三箇所を増補されて、この2月に文庫本でも刊行されたのである。このことだけでも、本書が非常に優れた本であることを証明していると私は考えている。
本の構成を紹介しておくと、第一章は、「ゆとり教育」と「階層化社会」、第二章は、派遣OLはなぜセクハラを我慢するのか、第三章は、労組はあなたを守ってくれない、第四章は、市場化される老人と子ども、第五章は、不平等を正当化する人々、終章は、優生学の復権と機会不平等、というものである。
斉藤貴男氏は、論文だけで物事を論ずるだけでなく、なによりも足で歩き、直接著者にインタービューをすることで、著者の本音を、とことこ追求することができる少数派の気骨あるジャーナリストの一人である。
今回のこの著書も、各章ごとに、関係者に対する直接インタビューすることで、決定的な内容をスクープしている。各章ごとに読み応えあるインタビューがなされているのだが、ここでは、紙面の関係で第一章でのインタビューのみに絞り触れておきたい。
その一つ目は、本文の冒頭に掲げられている江崎玲於奈・教育改革国民会議座長のセリフである。
「人間の遺伝情報が解析され、持って生まれた能力がわかる時代になってきました。これからの教育では、そのことを認めるかどうかが大切になってくる。僕はアクセプト(許容)せざるを得ないと思う。自分でどうにもならないものは、そこに神の存在氏を考えるしかない。その上で、人間のできることをやっていく必要があるんです。
ある種の能力の備わっていない者が、いくらやってもねえ。いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの子供の遺伝情報に見合った教育をしていく形になっていきますよ」 その二つ目は、三浦朱文・前教育課程審議会会長のセリフである。
「学力低下は予測しうる不安と言うか、覚悟しながら教課審をやっとりました。いや、逆に平均学力が下がらないようでは、これからの日本はどうにもならないということです。つまりできん者はできんままで結構。戦後五十年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。百人に一人でいい、やがて彼らが国を引っ張っていきます。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」「国際比較をすれば、アメリカやヨーロッパの点数は低いけれど、すごいリーダーも出てくる。日本もそういう先進国型になっていかなければなりません。それが"ゆとり教育"の本当の目的。エリート教育とは言いにくい時代だから、回りくどく言っただけの話だ」
これら二つの本音の告白は、労働者民衆にとっては始めて聞く重大な発言であることだろう。来年度の教科書から、すべての児童生徒が学習しなければならないところとゆとりがある児童生徒が学ぶところと教科書が内容的に分かれるのだという。事態はここまで来ているのである。
この本で注目すべきは第一章ではあるが、他の章も、具体的な暴露・告発に満ちている。 特に第五章は、「不平等を正当化する人々」の表題の下で、竹中平蔵・中谷巌・伊藤元重・中条潮ら経済学者に対する具体的批判は実に読み応えある章である。
是非とも一読を勧めたい。(直)
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